川南町の国指定史跡 宗麟原供養塔

宗麟原供養塔は、天正6年(1578)11月に行われた豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久との高城之戦(耳川の戦い)の戦没者を供養した塔です。

 

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合戦の勝利後、島津義久は、戦死者を敵味方の区別なく手厚く弔うよう高城の城主・山田新介有信に命じました。さらに天正12年(1584)、合戦の七回忌に当たっては大施餓鬼を行うように命じました。 供養塔の完成は、銘によると天正13年(1585)2月となっています。

・高城之戦(耳川の戦い)=九州を二分する戦いで、「西の関ヶ原」といわれた合戦。(戦死者は約2万人ともいわれています)

・大施餓鬼(おおせがき・おせがき・だいせがき)=塔婆供養をする法要。

・供養塔の材料は、清武町産の硬質凝灰岩です。

毎年11月12日に供養祭が川南町の宗麟原供養塔にて行われます。